品質で選ばれる広島かきと沖縄もずく|創業65年の占部水産株式会社
代表取締役 占部拓志
Release: 2025.07.28
Update : 2025.09.19
広島の牡蠣や沖縄のもずくをはじめとした水産加工品や冷凍食品を手がける食品メーカーです。1960年の創立以来、「顧客第一主義」を大切に、安心・安全な商品づくりと衛生管理に全社で取り組んでいます。お客様の笑顔と社員の幸せをつなぐ企業を目指しています。

事業紹介
当社は「占部水産」という会社です。名前に“水産”とついてますが、実は海に出ませんし、そもそも船を持っていません。水揚げされた後の水産物の加工を行っていて、いわゆる食品工場を運営しています。
主に扱っているのは、広島の牡蠣と沖縄のもずく。この2つは時期がちょうど反対で、夏はもずく、冬は牡蠣。今はちょうど夏の時期ですが、もずくがメインになりますね。そんな感じで1年を通して事業を回しています。
売り上げは約15億円程度で従業員は約35名といった規模の会社です。毎年の牡蠣の出来にも左右されたりしますが、近年はもずくの割合の方が高いですね。


強み・独自性
牡蠣ともずくの両方を扱っているというのが、まず大きな強みですね。広島県内でも牡蠣を扱っている会社は多いですが、特に福山で広島牡蠣をってなるとかなり少ない。県外から福山に来た方は広島だから牡蠣が食べたい、持って帰りたいとなっても、町にあるのは岡山県産ばかり。広島の牡蠣をネットで調べて弊社を訪ねて来られる方も多くいます。
もずくについては、扱い始めたのが早かったんです。約50年前当時はまだほとんど誰も知らないような商品で、販売も手探りでした。それでも粘り強く販売を続けて、健康ブームもあり徐々に市場に広がって、今では牡蠣ともずくの2本柱で事業を構成しています。

昔はもずくはタレが別添えになっているタイプの商品を展開していて、それが爆発的に売れました。ただ20年ほど前に、開けたらすぐ食べられる味付けタイプの商品が販売されて徐々に主流になってきていて、そこには正直、少し乗り遅れた感があります。今はそういった商品も作っていますが、会社の主力製品というわけではありません。
結果的にはそれでよかったと思っています。というのも、味付けタイプの商品は価格競争が激しくて、大手は24時間体制で製造しているような状況。そこで価格勝負をするのではなく、美味しさにこだわってみたり、自社開発の「とろろぶっかけもずく」や「細もずく」など、独自性がある高付加価値商品に力を入れてきました。
また、もずく自体も産地と連携を取り、成熟していてシャキシャキとした食感を味わえる品質のものを厳選して仕入れています。それがお客様に高く評価されていて、当社の強みにもなっています。
会社の歴史
始まりは、65年前の個人事業からです。祖父が広島の牡蠣やいろんなものをパックして販売し始めたのが最初で、夏場は福山で仕事をして、冬は広島の江田島に住んで牡蠣の仕事といった季節による働き方をしていました。
その後、49年前に会社として法人化。福山に工場を構えました。当初は冬場の仕事が中心でしたが、社員を雇うようになると夏場も事業を動かす必要が出てきて、父が探してきたのが沖縄のもずくでした。もずく養殖が始まったばかりの時期で、それをいち早く取り入れて今の形に繋がっています。

就任までの背景
きっかけというものは特になくて、働いているうちに自然と引き継いだ感じです。大学の頃から「いずれは」と意識していて、そういう意味では自然な流れでした。
一度外に出て経験を積む選択肢もあったと思うんですが、結果的にはすぐ帰ってきて0から全部やってきた分、会社や社員とともに成長をしてこれたので一体感があります。
仕事のやりがい
やっぱり、お客さんが喜んでくれることですね。特に当社はこだわって商品を作っているので、「美味しい」って言ってもらえると本当に嬉しいです。
スーパーや消費者の方に販売しているんですが、熱烈なファンの方が手紙を送ってくれたり、「とろろけもずく」なんかでSNSに投稿してくださったりするんですよ。そういう声を見ると、やっててよかったなって思います。
牡蠣については、小売もやってるんですけど、特に12月のお歳暮の時期なんかは近年生育が追いつかず、昨年は初めて生牡蠣むき身の注文を断らざるを得ませんでした。それでも「私は占部さんの牡蠣を送りたいから、時期を外してでも待ちます」って言ってくれる方が多くて、そういうのが本当にやりがいですね。

仕事で大切にしていること
「ちゃんとした商品を、ちゃんとお届けすること」です。たとえば原価が上がっているからといって、安易に質の悪い原料に変えてコストダウンをするようなことは絶対にしない。お歳暮シーズンになっても牡蠣の生育に納得がいかなかったら販売しない。納得がいかないものを販売するなら、いっそやめるという選択をします。
そういう積み重ねで今の信頼があると思っていますし、「占部さんの製品が欲しい」「占部さんの牡蠣でも悪かったらそれはしょうがない」とまで言ってくれるお客さんがいるので、そういう方々を大切にすることを一番意識しています。
仕事の大変な面
一番大変なのは、やっぱり原料の安定確保です。特に牡蠣は、この10年で急激に状況が悪くなっていて、昔と同じように育たないんです。海水温の上昇も原因ですが、「海に栄養がない」のも大きな原因です。要は、海が綺麗になりすぎて、生き物が育たなくなっているんです。
これに対して業界団体としても、長年下水排水規制の緩和を訴えたりして、最近徐々に実現され始めてます。

今後の目標
個人的には海外展開にも興味があります。やっぱり日本だけに閉じこもっていたくないという思いがあって。ただ、会社としては、今支えてくれているお客さんに着実に商品を届けていくことが最優先です。
もずくは健康食品として「フコイダン」という成分が注目されていて、抽出して健康食品とされている商品もあります。だからこそ、その他の日本の食材を含めて海外でも受け入れられるような「食文化」をつくっていけたら、という思いもあります。
目標へ向けての課題
課題はやはり地球環境です。水産物が育たなければどうにもならない。特最近は台風も来ないので大きな影響があります。台風が来ることで、海がかき混ぜられて海水温が下がり、山の栄養が海へ流れ込み、海の環境がよくなるんです。
台風って実は自然のサイクルの中で必要な存在。最近はその台風のルートも変わってきていて、九州にすら来ないような動きになってきています。そういった自然環境の変化が、一番の懸念ですね。

福山YEG入会のきっかけ
入会のきっかけは、誰かに誘われたからですね。正直、誰に誘われたのかはもう覚えてないんですけど、たしかJC(青年会議所)からの繋がりだったと思います。
入会してよかったこと
正直、福山YEGの活動には委員として参加していただけなのですが、それでも知ってる人は増えたと思います。近年はどちらかというと日本YEG出向の方を中心にやっていたので、全国で福山YEGの名前を背負っての活動がメインでした。
その中で一番よかったのは、日本中に友人ができたことですね。
令和5年と6年には、日本YEGに出向して、5年は総務委員会委員、6年はビジネス活性化委員会で副委員長を務めました。今年は福山に戻って、運営専務という立場で単会に関わっています。

入会後の良き出会い
知り合いは本当に増えましたね。YEGの友達というだけじゃなくて、全国のいろんな人たちと情報交換ができるようになったのが大きいです。
福山だとあまりないようなビジネスの情報、たとえば「こんな事業がうまくいってる」とか「今こういう手法が注目されている」とか、福山だけじゃ得られないような具体的な話がたくさん入ってくるようになりました。
どこへ行っても誰かしら知り合いがいるという安心感もありますし、それも含めて日本出向をしてよかったと思っています。
入会後の変化
実は、自分の中ではそんなに大きな変化は感じていないんです。もともとJCでいろいろ学んだことをベースに仕事に活かしてやっていて、そのままYEGでも活動しているので、やっていること自体が大きく変わったわけではないんですよね。
記憶に残るYEG活動
やっぱり一番記憶に残っているのは、昨年、日本YEGで副委員長を務めた時の活動です。
「YEG事業の経済波及効果を算出してくれ」と唐突に言われて、まったくゼロの状態から仕組みを作りました。それが今、日本YEGや各地連合会でも使われるようになっています。日本YEG三大事業の経済波及効果は総額45億円になったとプレスリリースに載ったり、ニュースになったりもしました。単年度制の組織のなか、後々形に残る仕組みを作れたのは、本当に良かったと思います。

福山にいると日本YEGのイメージって湧かないかもしれませんが、副委員長といっても、日本YEGの場合は、実質的には福山YEGで言う委員長に近いもので、自分の事業を持って議案も書くし、自分の小委員会も持つし、責任のある立場なんです。そういった意味でも一区切りつくところまでやったなという実感はあります。
今、新入会員だったとしたら
もし今、自分が新入会員だったとしたら、まずは「全部出て、自ら関わっていく」ことをおすすめします。
出なければ何も得られないし、積極的に参画することで初めてわかることがたくさんあります。そして、「何かを持って帰ろう」という気持ちがあるかどうかが大事だと思います。
ただ酒を飲んで楽しかった、知り合いができた、で終わるのと、「何かを学ぼう」と思って参加するのとでは、同じ1年間でも大きな差が出るはずです。
これから出会いたい人
そうですね、個人的には日本YEGで出会ったようないろいろ話せる仲間に地元で出会えたらいいですね。出向にしばらく出ていたこともあり、以前と生活リズムが変わってしまって、福山で出歩く機会もめっきり減ってしまいました。
個人について
休日は、ほとんどないんです。日曜日も出荷があったりするので、工場は休ませても、自分が代わりに出ていることが多いです。365日何かしら動いている会社なので、正月も動いてます。だから、いざ休みとなっても何をしていいのかわからなくなるくらいです。
趣味は旅行ですね。知らないところに行く、やったことが無いことをやるのが好きで、とにかく外に出たいタイプです。同じ場所にはあまり行かないんですが、最近はチャンスがあればアジアを巡ってます。今年は10月にフィリピン事業がありますよね。マニラは2年前に日本YEG事業で行って2回目の訪問ですが、事業内容も同行メンバーも違うので楽しみにしています。

参加者からの質問・感想・交流時間
藤原さん「大学卒業してすぐ会社に入られたって話だったんですけど、お父さんから社長を引き継ぐ時って、スムーズにいったんですか?」
占部さん「そうですね。うちはわりとうまくいった方かもしれません。もちろん親子なんで色々ありましたけど、最終的には“はい、渡すわ”って感じで。ぽんと投げられたような(笑)」
高山さん「日本の牡蠣を、海外の人がもっと食べるようになるには、どんなことが必要なんですか?」
占部さん「うちも海外には出してるんですけど、他国との競争があります。ただ広島の大粒の牡蠣は海外から見ても魅力的なので、適正価格でいい実入りの牡蠣を育てていくのが大事だと思います。量より質への転換ですね。」
佐藤さん「今日、工場見せてもらって思ったんですけど、人がやった方が早いんですね。てっきり自動化されてると思ってたので、意外でした。」
占部さん「食品工場内部だと、製造記録とか温度管理はデジタル化してますよ。でも、機械って融通が利かないところもあるので、準備や清掃、メンテナンスを考えると、人の方が早いし柔軟性があるって場面は多いですね。」
佐藤さん「とはいえ、今って人手も貴重じゃないですか。そのあたり、どう考えてます?」
占部さん「もちろん最新機器の導入など効率化は進めているのですが、うちは外国人スタッフが多くいます。長い子はもう9年も働いてくれてますし、もっと長くいたいと勉強も頑張っています。頑張る人には日本人と同等の給与や賞与も出してます。安価な労働力ではなく、一生懸命仕事を頑張る従業員としてちゃんと向き合えば定着してくれるのではないでしょうか。」
瀬尾さん「夏牡蠣って、やっぱり大変なんですか?」
占部さん「広島の場合基準が厳しいんですよ。事業として難しいレベルの大変さがありますね。」
瀬尾さん「それでも出してるところはある?」
占部さん「一部のかき小町ですね。ただ出荷までに5日間絶食させて殺菌するとか、そこまでしないと許可が通らないんですよ。」
桒田さん 「PBやらずに、 品質を保ってるってすごいなって思うんですけど、 それってどうやって続けてるんですか?」
占部さん「安く作ってほしいって言われて、過去にそういう商品を作ったこともあるんですよ。でも全部失敗しました。結局、お客さんはそういうのをうちに求めてないんでしょうね。それよりも“占部水産の味”を期待してるんだと思います。」

取材の感想
自分で話してみて改めて思ったのは、決して派手なことをしてるわけじゃないけど、ちゃんと自分たちのやり方で、お客さんと向き合ってきたんだなと思いました。牡蠣やもずくを通じて、人の記憶に残る商品を届けたいという思いがずっとあって、そこはぶれずにやってこれたことが、今の信頼につながっているんだと思います。
YEGでの活動もそうですが、いろんな人との出会いや経験が、自分の考えや視野を広げてくれていると感じています。これからも、地域や仲間と一緒に、少しずつでも前に進んでいけたらと思っています。









