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1.福山市の概況 |
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〜「輝く瀬戸内の交流拠点都市・個性豊かなばらのまち福山」をめざす〜 |
位置・市域
福山市は広島県の東南端に位置し、瀬戸内海に面した山陽道のほぼ中央に存在している。東の岡山市から58km、西の広島市から103kmの距離を隔て、それら大都市の影響を余り受けず、政治経済、文化等、あらゆる面で備後圏におけるリーダー的都市として役割を担っている。市域は、平成20年10月1日現在、東西29.5km、南北45.7km、面積518.07ku
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歴 史
福山の歴史は非常に古く、古くから潮待ち風待ちの港として栄えた鞆の浦は、瀬戸内海の中央、沼隈半島の先端に位置し、「万葉集」でも、大伴旅人の歌にも詠まれている。
南北朝時代では、足利尊氏が京都に攻め上がる最後の軍議を鞆の浦で行ったとあり、室町時代後半になると、中国地方の覇者となった毛利氏が、鞆の浦を重要視し、鞆城を築いている。室町幕府の最後の将軍、足利義昭は天正元年(1573年)に織田信長によって京都を追われ、天正4年(1576年)に鞆城に入り、信長包囲網を築くために画策するが、秀吉と講和を結ぶことによって、幕府再興の夢はついえ、「足利氏は鞆に興り、鞆に亡ぶ」と言われるゆえんとなった。
近世に至り、元和5年(1619年)水野勝成が備後10万石の領主となり、この地を福山と命名して久松城を築き、芦田川河口のデルタ地帯を干拓し、城下町の整備を進めた。
水野氏5代(1619〜1698年)、松平氏1代(1700〜1710年)、阿部氏10代(1710〜1868年)の治政が版籍奉還まで続き、今日の福山のいしずえが築かれた。
鞆の浦は、水野時代の初期には城下町的色彩が残っていたが、次第に港町の性格が強まり、鞆の津と呼ばれるようになり、特に朝鮮通信使の寄港になるなど、瀬戸内の要港として発展した。現在も残る、古い町並みや数ある神社仏閣、そして港湾施設に往時の繁栄の跡を偲ぶことができる。
明治になってからは、県庁、支庁や郡役所が置かれ、地方行政の中心的役割を果たし、明治22年市町村制施行で福山町となり、明治24年山陽本線・地方私鉄が開通するなど町の基盤づくりが進められた。 |
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福山市誕生〜戦災
大正5年の市制施行で市域5.8ku、人口32,356人の福山市が誕生した(全国73番目、広島県内4番目)。その後、隣接する10ヵ村(昭和8年)、2ヵ村(昭和17年)の合併により市域を拡大した。
昭和20年8月8日には市街地の8割が焦土と化す空襲をうけ、多くの死傷者を出し、産業面でも、この空襲により大きな打撃を受けたが、戦災による大きな被害も、市民のおう盛な復興意欲と翌年からの都市計画事業の推進によって、現在の近代的な市街地の形成が始まった。 |
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戦後復興〜工業都市
昭和50年までに松永市など1市14町村との合併が行われたことにより、市域・人口は拡大を続け、国道・山陽新幹線などの基盤整備が進められ、山陽と山陰および四国を結ぶ文化・交通の要衝都市として急速に発展した。
産業面では繊維製品、木工品、畳表や琴などの特色ある伝統的地場産業に加え、昭和36年には世界一の規模を誇る日本鋼管兜沁R製鉄所(現JFEスチール叶シ日本製鉄所)の誘致が決まり、昭和39年9月には備後地区工業整備特別地域の指定を受け、重工業化が進み、西日本における有数の工業都市となった。
文化面では市花であるばらの祭典が昭和31年「バラ展示会」として市民の手で始められ、昭和46年からは福山祭委員会主催による市民総ぐるみの「福山ばら祭」として、毎年開催されるようになり、県内外から多くの人が訪れ、現在も福山市最大のイベントとして親しまれている。
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中核市へ移行〜現在
平成5年には「地方拠点都市地域」の指定を受け、さらに平成10年4月には、中国地方としては岡山市に次いで2番目となる「中核市」へと移行するなど、福山市の拠点性はますます高まってきた。さらに、合併特例法大幅改正により「平成の大合併」と言われる全国的な動きの中で、福山市は新市町・内海町(平成15年)、沼隈町(平成17年)、神辺町(平成18年3月)と合併を重ね、人口約47万人を擁する県内第2位、中国地方第4位の都市として発展を続けている。このように都市の成長とともに、21世紀にさらなる飛躍を遂げるため、福山市は備後地域の中核都市として、「人間環境都市」を基底に、「輝く瀬戸内の交流拠点都市・個性豊かなばらのまち福山」を将来都市像として位置づけ、その実現をめざしている。 |
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市域とその変遷
平成22年3月末現在
人口 464,558人 福山市「住民基本台帳」
(外国人を含まない)
平成22年10月1日現在
面積 518.11ku (広島県面積 8,479.58ku ) |
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1. |
大正5年7月1日、市制施行
人口 32,356人
面積 5.8平方キロメートル
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2. |
昭和8年1月、10カ村(川口、手城、深津、奈良津、吉津、木之庄、本庄、神島、佐波、草戸)を合併 |
3. |
昭和17年7月、2カ村(山手、郷分)を合併 |
4. |
昭和31年9月、10カ町村(引野、市、千田、御幸、津之郷、赤坂、 瀬戸、熊野、水呑、鞆)を合併
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5. |
昭和37年1月、深安町を合併 |
6. |
昭和41年5月、松永市と合併 |
7. |
昭和49年4月、芦田町を合併 |
8. |
昭和50年2月、2カ町(加茂、駅家)を合併 |
9. |
平成15年2月、2カ町(内海、新市)を合併 |
10. |
平成17年2月、沼隈町を合併 |
11. |
平成18年3月、神辺町を合併 |
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データで見る福山市の姿
項
目 |
単位 |
福山市 |
調査年 |
備考 |
●人 口 |
人 |
464,558 |
H22.3.31 |
住民基本台帳
(外国人を含まない) |
●世 帯 数 |
世帯 |
186,799 |
H22.3.31 |
●面 積 |
Ku |
518.11 |
H22.10.1 |
全国都道府県別市町村面積調 |
●事 業 所 |
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@民営事業所数 |
社 |
22,999 |
H18.10.1 |
H18年事業所・企業統計調査 |
A従業者数 |
人 |
206,587 |
●工 業 |
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@事業所数 |
社 |
1,516 |
H20.12.31 |
H20年工業統計調査 (従業員4人以上の事業所) |
A従業者数 |
人 |
43,359 |
B製造品出荷額等 |
億円 |
20,708 |
●商 業 |
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1.卸売業 |
@事業所数 |
事業所 |
1,508 |
H19.6.1 |
H19年商業統計調査(広島県) |
A従業者数 |
人 |
14,350 |
B年間商品販売額 |
億円 |
9,914 |
2.小売業 |
@事業所数 |
事業所 |
4,397 |
H19.6.1 |
H19年商業統計調査(広島県) |
A従業者数 |
人 |
29,170 |
B年間商品販売額 |
億円 |
5,410 |
●貿 易 |
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@輸出 |
百万円 |
467,057 |
H22年
(速報値) |
神戸税関福山税関支署 |
A輸入 |
百万円 |
424,809 |
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